乃木坂46に学ぶ人生で大切なこと
乃木坂46に学ぶ人生で大切なこと

人はこんなにも変われるんだ

人生で大切なこと

大園桃子さんの変化

鹿児島の田舎で暮らしていた大園桃子さんは、乃木坂46だけでなくアイドルというものをほとんど知らずに、先輩に勧められるがまま高校2年生の時に乃木坂46のオーディションを受け、あれよという間に最終オーディションを突破し、マスコミへのお披露目の際には、12名いる合格者の中で暫定ではあるもののセンターに指名されました。
いきなりセンターに抜擢された大園桃子さんは、あまりの緊張に、マスコミからの質問にもうまく答えられず、両手を広げてブルブルと振り回し、手の震えを止めようとする仕草に、取材陣からは笑みがこぼれました。そして

なにもできないのに、受かったのが不思議です。これから・・・頑張ります。

と、鹿児島訛りを含む小さな声を絞り出しコメントしました。

他の3期生のメンバーの多くが、乃木坂46が好きで、アイドルや乃木坂46になりたくてオーディションを受けていたのに対し、先輩に言われて受けさせられ、いきなり乃木坂46のメンバーになったこともあり、歌って踊ることや人前に出ることなども得意ではない彼女は、常に緊張と不安につつまれていました。
乃木坂46の冠番組である「乃木坂工事中」を収録するスタジオで、1・2期生の先輩メンバーと3期生が初めて対面するときに、先輩を前に3期生が一人ひとり自己紹介をしていく中で、大園さんは緊張のあまり自分の名前さえもうまく言えず、その場に倒れこんでしまう場面や、加入直後に行われた舞台の稽古で、泣きながら自己紹介をしている場面などが、ドキュメンタリー映像などに残っています。

卒業の直前に作成された28thシングル「君に叱られた」の特典映像である「Documentary of Momoko Ozono」で大園さんは、

「グループの凄さもとかも理解してないまま入ってしまったので、なんかどういう状況とかもあんまりわかんなくて」

「全てにおいて自分に自信がないところから来ていると思います」

「みんなができることと、自分にできることの差がありすぎて、周りと比べちゃって、何やっても得意だとか楽しいと思えないし、できないとか考えちゃうから、向いてないんだなとかずっと思ってて」

「できないと思ったら、やりたくないと思っちゃうのに、でもやらなきゃいけない状況に、ずっと泣いてましたね」

同期である山下美月さんは、同じく「Documentary of Momoko Ozono」で、

泣いてる姿を毎日のように見てたし、乃木坂に対して前向きになれないところとか、ネガティブになってしまう姿をすごく見ていたので、危うい子だなと思っていました。

また、同じく同期であり18枚目シングルで大園さんと共にWセンターに抜擢された与田祐希さんも、

すっと泣いてるイメージが強いです。
私も泣いてたけど、桃ちゃんの泣いてる時がすごすぎて。

今思い返すと純粋な子供が泣いてるような泣きじゃくり方で。

 

(乃木坂46 OFFICIAL YouTube CHANNEL『Documentary of Momoko Ozono』予告編)

 

そんな大園さんが変わったきっかけは、2020年のコロナ過での自粛期間でした。

自粛期間ってお外に出ないことが正解だった時間で、お仕事のことを考えなくていい時間が多かったのが、心が休まって前向きにとらえられるようになりました。

そういう周りを見る時間が今までなくて、目の前の自分の暗闇しか見えてなくて。

でも時間があったことで周りを見て、明るい世界を知りました。

一番大きいのは、やさしさに対して「ありがとうございます」と思えるようになったから、幸せって思える場面が増えたんだと思います。

今までは、そのやさしさに対して「申し訳ない」とか「ごめんなさい」っていう気持ちが大きかったから、やさしさを素直に受け取れなくてっていうのがあって。

今は、自粛期間が開けてからは世界が明るく見えます。

 

2021/8/22にマリンメッセ福岡で行われた「乃木坂46 真夏の全国ツアー2021」の福岡公演2日目では、9月4日にグループ卒業と芸能界引退を控える大園桃子さんの卒業セレモニーも行われ、その最後のスピーチでは、

たくさん知っている方もいらっしゃると思うのですが、私は先輩に勧められて、乃木坂46を何も知らない状態でオーディションを受けてしまいました。

大人の人の前に立って自分をアピールすることが初めてで、何をしたらいいかわからなくて、本当によくわからないまま時間だけが進んでいき、気づいたら引き返せないところまで来ていました。

 

3期生として加入して、乃木坂を大好きで入ってきた子、覚悟を持って入ってきている子がたくさんいて、申し訳なくて、罪悪感でみんなの目をすごく気にしていたのを覚えています。

たくさんの人が夢見る大きな舞台に立たせていただいたり、たくさんの人に注目してもらえる位置に選んでいただけたり、ありがたいことなのはわかっていたはずなのに、とてもとても怖かったです。

自分で自分を責めることもたくさん、周りからあまり良くないことを言われることもありました。

もともと自信がない私は、本当に押しつぶされそうで、毎日生きることが精いっぱいでした。

 

よく、目標はありますか? と聞かれることがあります。毎回うまく答えることができず、そんな自分が嫌でした。

自分のことが大嫌いで、目標もない、そんな私が乃木坂として何かできるわけがないと、ふさぎ込んでしまった時期があります。

あのときは、優しくしてくださる先輩や、同期のみんなに本当に申し訳なく思っていました。

 

今までたくさん迷惑をかけてしまいましたが、今は5年間乃木坂にいることができて、よかったなと思うことができています。

そう思えるのは本当に、家族、メンバー、スタッフさん、ファンの皆さまがたくさん励まし続けてくれて、引き留めてくれたからだと思います。

メンバーが喜んでいるとき、笑っているとき、このグループは本当に温かいグループだなと感じることができました。

ずっと見捨てず、守ってくれて、助けてくれて、本当にありがとうございました。

みんなが支え続けてくれるその優しさで、前を向けました。

たくさんのステージにみんなと一緒に立って、みんなと同じ制服、衣装を着て、いろんな場所に行くことができて、どれもすごくすてきな思い出になりました。

卒業したら会える機会が少なくなると思うと、寂しいです。

みんなが笑って、楽しく過ごせたらいいなと思っています。

 

最初はみんなと違う気持ちで乃木坂に入りましたが、5年間の活動を経て、私は乃木坂46になることができました。

これは表面的な意味ではありません。

周りの力を借りながらではありますが、私は5年間頑張ってきたんだと、私自身が自信を持ってそう思えるようになったからです。

人はこんなにも変われるんだと驚くくらい、前と比べると想像がつかないくらい、明るく物事を考えられるようになり、明るい気持ちで卒業できることをうれしく思います。

 

私は乃木坂46に入って、うれしいこと、つらいことを経験して、大好きなみんなと一緒に過ごせたこの5年間を、ずっと宝物にしたいと思います。

本当にお世話になりました。今までありがとうございました。

私は、乃木坂46が大好きです。

(日刊スポーツ/乃木坂大園桃子のラストスピーチ全文「乃木坂46になることができました」)

 

 

斎藤飛鳥さんの変化

東京の下町で日本人の父親とミャンマー人の母親のもとに生まれた齋藤飛鳥さんは、小学校5年生のときにいじめにあったことから塞ぎ込むようになり、6年の時には不登校になってしまいました。
そんな娘を見て心配した母親と友人からの薦めがあり、乃木坂46の1期生オーディションを受け、13歳の時に最年少として乃木坂46に加入しました。

1stシングルでは選抜メンバーに選ばれましたが、2ndと3rdシングルではアンダー、4thシングルでは選抜になりましたが、5thでは再びアンダーとなり、そこからしばらく、多くをアンダーメンバーとして活動しました。

その頃の齋藤さんは、自分が見てきたような、かわいらしい王道アイドルになるべく、ニックネームは「あしゅりん」、好きな食べ物は「いちごみるく」で、自己紹介で声を一段高くして「いちごみるくをもらうと、ものすごーい勢いで懐いちゃうのでご注意ください」と言っていました。

しかし、いつの日からか、自分の本来の姿とは大きく乖離した王道アイドル像を装うのをやめ、本人曰く「根暗」で、人と群れることを避け、時に毒舌を吐くようなキャラクターを表に出すようになりました。
毒舌キャラでも嫌われなかったのは、彼女が好きな読書から得た独特のワードセンスを持っていたことで嫌味がなかったことと、子供のころから乃木坂46として活動してきて身につけた、周りを見極め空気を読むバランス感覚が備わっていたからでしょう。さらに、超小顔で幼い顔立ちも、毒舌とのギャップを感じさせ魅力となっていました。
そうした飾らない感じが支持され、次第に人気を高め、乃木坂46の次世代エースと言われるようにもなり、11thシングルで久々の選抜メンバーとなると、15thシングルでは初めてセンターを任されるまでになりました。

そして乃木坂46の創成期を共に過ごした同期の1期生や2期生の卒業が相次ぎ、3~5期生の後輩がグループの中心となる中、決して人づきあいが得意ではないながらも、3期生の大園桃子さん、4期生の遠藤さくらさんなどに寄り添い、かつて自分が1期生の最年少として、同じ1期生のお姉さんメンバーに寄り添ってもらったように、その「恩送り」として、後輩を支える役目を担いました。
また、不器用ながらも「乃木坂愛」が垣間見られ、加入当初のころの彼女を知るファンは、このような彼女の変化(成長)を、驚きと嬉しさをもって見ていました。

乃木坂46からの卒業を発表したブログでは、

タイムリーにあの時期を見ていた人が今どのくらい居るのかわからないけど、今思うと恥ずかしいような事も、いっぱいいっぱいしました!

すべては〝あしゅりん〟という名から始まってるけど、それこそブログだって、今と人格違いますしね。笑

でも、なんにも無かったんだ、私に。

いっぱい装飾したり殻を作って閉じこもったり、そういう事しか思いつかなかったんだー。

そこから色んな私を見せていったから、失敗も、色んなパターンで経験しました。

最悪な時期も、ちゃんとありました。

焦ってもがいていた時間、決して短くはなかったと思います。

だけどその過去、経験できて本当によかった。

当時はまったくそう思えてなかったけど、あれが無かったらたぶん、私って私じゃないです。

 

(乃木坂配信中/齋藤飛鳥 乃木坂46として最後の3日間)

 

 

人は変われる

1期生で乃木坂46の創成期を牽引した生駒里奈さんも、学生時代にいじめを受け、乃木坂46のオーディションを受けたのは、そこから逃げることも理由の一つでした。
合格後のレッスンは、地元の秋田から通い体力的にも「ヘトヘトで記憶がない」ぐらい大変でしたが、「学校には戻りたくない」という気持ちが勝ち、耐えられました。
そして、つらくても辞めなかった理由はもう1つ、

いじめられたら辞めようと思ってたんですけど、メンバーにいじめっ子がいなかったんです。自分の命をかけても守りたい人たちに出会えたのが乃木坂のメンバーでした。

(日本テレビ系『メレンゲの気持ち』)

 

生駒さんと同じく乃木坂46の中心メンバーとして活躍した1期生の白石麻衣さんも、中学生のころ、いじめにより不登校を経験していますし、その他にも、学生時代にいじめにあっていた人や、目立たず友だちも少なかったような、いわゆる陰キャであったというメンバーが多くいます。
そのようなメンバーたちが「乃木坂46」として、多くの人の前に立ちキラキラと輝く活躍をしています。
「昔の自分からは想像できない」と、多くのメンバーが言ってるように人は変われるのです

例えば、「自分は内気だ」と悩んでいるとします。
しかし「内気」というのは性質を表すひとつの言葉であって、良いことでも悪いことでもないはずで「内気=悪」というネガティブな意味づけをしているのは自分自身です。
「内気な性格」は別の言い方をすれば「人の意見を尊重できる」「謙虚」「理性的」などとも言え、ポジティブな意味づけをすることは、決して難しいことではありません。
このようにして自分に与えられたものをうまく活用することにより、自分自身をより良い方向に導くことができるのです。
今の自分の行動や考え方は、全て自分が選択しているのです。
今からでも行動や考え方を変えれば、自分を変えることができます。

 

◆乃木坂46に学ぶ人生で大切なこと◆

人は変われる

 

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